仮名草子「安倍晴明物語」⑤ 伝浅井了意作

晴明 殺される

さて、晴明が唐に渡って三年の間に、留守を預かった弟子の道満法師は、晴明の妻である梨花と、あろうことか男女の契りを結び、深い仲となった。

道満はある時、梨花に語って「晴明は唐に渡って、また、どんな貴重な書物を伝えてきたのか」と言った。梨花が答えて、「何かは知りませんが、四寸四方の金の箱と、五寸四方の梅壇香木の箱の二つを、石の唐櫃に入れて錠を差し、戊亥の蔵に置いています」と言った。道満は「来世も誓った仲なのですから、それを一目お見せなさい」と言った。梨花も「惜しむことはございません。命さえも捧げますのに、まして、こんなことは、大そうたやすいことです」と、こっそりと唐櫃を開けて見せた。道満は、大いに喜んで、箱を取り出したが、蓋が開かなかった。箱の上には、一文字が書いてあった。一の字に『うつ』という読み仮名があったので、これを打つと、ふたが開いた。中には、伯道が伝えた「金島玉兎集」と、また、もう一つの箱には、吉備真備公が譲り残された「簠簋内伝』があった。道満は、みなことごとく書き写して、元のように封印して石の櫃に納めた。

その後、晴明は、宮中に参上し、五節の夜の宴に、酒を飲みすぎて家に帰った。大いに酔っているちょうどその時、道満は「私は、この間の夜の夢で、太唐の五台山に詣でて文殊様にお会いしました。『金烏玉兎集」と「簠簋内伝」という書を授けられましたが、夢が覚めたら、枕元にこれらがありました」と言った。

晴明は、酔っぱらってしまっていたので何気なく「夢は、妄想が錯乱する気持ちから見るものなので、例え、千金を手に取る夢を見ても、覚めれば千金は全くない。だから、聖人は夢を見ないとはこのことである」と言った。道満は「天竺では、枳栗奇王(きりきおう)の十種類の夢、摩耶夫人の五種類の夢、これらをみな釈尊が、夢解きをして、説法なさった。唐土では、尭王(ぎょうおう)は、眉毛が長くなって、国中に巻きつくという夢を見て、王位に上り、太舜(たいしゅん)は、天に上るという夢を見て、御位にお就きになった。日本では、神武天皇が海を飲むという夢を見られてから、四海太平に治まり、天武天皇は、山を抱くという夢を見て、御位にお就きになった。古代、三国に共通して、夢の不思議なしるしの先例は多い。どうして、聖人は夢を見ないといえましょう」と言った。

晴明が「聖人が全く夢を見ないというのではない。真の人は、物の道理に通じて、心がうまく安定しているので、妄想の夢を見ないと言ったのだ。お前のような、名利を求めて我がままで、変わりやすい心を持った人には、聖人と同じく正夢を見るとは思いもよらない。まして、文殊から授かった書物があると言うのは、大変愚かなことだ」と言った。様々に言い合って、おのおのの言い分を論じたところ、道満は「どれどれ、その相伝があるかないか、賭けをしましょう」と言う。晴明は、大いに笑って、「首を賭けよう」と言えば、道満は早速、写し取った書を懐中から取り出して見せながら、まもなく、晴明の首を打ち落とした。密かに、五条川原に運んで埋めて、塚を築いた。梨花と夫婦になり、本望を遂げたと喜んだが、日ごろ召し使っていた使用人たちが、皆倒れて、藁包みや木の屑となって、全く家に一人もいなくなってしまった。

道満は、新しく木の屑を作って、又、祈って人の姿にして、元の様に召し使った。