仮名草子「安倍晴明物語」③伝浅井了意作

道満

播磨の国印南郡に、道満法師という知恵のある人がいた。家柄は、芦屋村主清太(あしやのすぐりきよふと)の子孫である。それで、清太が、法道仙人に会って、天文、地理、易暦を学んで、書物に記して、家に伝え持っていたのを、道満が密かに学習して、概ねその道理に到達したので、私は法道仙人の弟子であるとうそをついて、法師となって、道の字をとって道満と名を付けた。けれども、仏法のことは少しも分からず、気質はわがままで、法に背いてめちゃくちゃな行いをしたが、占いはまぎれもなく秀でていて、時々類まれなさまを示し、俗世間の愚かな人をだましたので、人々は道満を恐れ尊んで、悪いようには言わなかった。「おれは、陰陽、五行、天文、地理のことから、易暦に至るまで、天下では肩を並べる者がいるはずがない」と、慢心を起こしていた。

 そういうところに、都に名高い占い師が出て、天皇のお悩みの原因を占い当て、官位を引き受け、禁中に伺候申し上げているうえ、天皇が名前をお与えになり、安倍晴明とお呼びになったと聞いて、道満が思うには、「おれを差し置いて、天下にそれほどの者があるとも思えない。もし、そのことが本当ならば、穏やかではないことだ」と、ねたみ、憎む思いが深くなり、「それならば、都に上って、霊験を比べて、その晴明をうち落とし、おれが天下の名人と言われよう」と思い立って、都を目指して上り、程なく都に着いた。

 


道満と晴明 知恵比べ

道満はまず、都の市で物を売る人に近づき、晴明のことを尋ねると、その人は答えて「晴明は限りなく類いまれな方で、後で起こるはずのことを、かねてから悟っておられますが、この二十日ぐらい前から、播磨の国から、自分と論議をしに上ってくる者がいるといって、お待ちです」と語ったので、道満は、このことを聞いて、大いに胸騒ぎがした。道満は大柑子を祈祷して男性の召使いに変え、木の枝や竹の細いのを祈願して、太刀や長刀に変えた。それらの者を召し連れて、晴明の家に至ったので、晴明が出迎え、奥に招き入れて、さまざまにもてなしをしたが、晴明に召し使われる者は、人ではなくて、みな藁の包みだった。

 道満が言うには「私がここまで上って来たのは、あなたのことを聞き及んで、霊験を比べようとするためだ」と。晴明が聞いて、「それは、まさに良いことです。ともかく、 仰せの通りお任せします」と言えば、道満が、ふたたび、「いっそのこと、禁中の南殿の、お庭の前で比べよう」と言った。晴明は、「もっともその場にふさわしい」と言って、まもなく、天皇に申し上げると、勅許がおりたので、両人が連れ立って参内申し上げた。

 帝は、南殿にお出ましになってご覧になる。お后らは御簾(みす)の中にお出ましになり、公卿、殿上人が残らずお出でになると、地下(じげ)の衛府(えふ)、諸司なども、並んでこれを見る。華やかな見物だった。

 まず一番に、道満法師は、お庭の白砂を手に取り、しばらく念じて、小石を空に投げ上げると、燕となって、飛びめぐった。人々はこれをご覧になり、ああ、類いないまれなことだと感心なさっていたところ、晴明が扇で一つたたくと、数十羽の燕は一同に地に落ちて、元の小石となった。

 晴明は、すぐに座を立って、陽明門の方に向かって念じると、にわかに大きな竜が雲から下って、雲を起こし、雨を降らせたので、庭にいた人々はびっしょりぬれて立っていた。道満がさまざまに行うが、降り止まない。溝の水が陸に流れ、舟を出さなければならないように見えたので、庭の人々は、腰だけつかって立ち上がる。もうこれまでと、晴明がまた何やら唱えたら、雨は晴れて、水が干上がり、お庭の人々はぬれにぬれたと思ったが、少しもぬれたところがない。これは世にまれな不思議なことと、人々は驚き感心なさった。道満が、「このような行いは、魔法でめちゃくちゃなことなので、人をだます術であり、正しい道理ではありません。ほかでもない占いで勝負を決め、そのうえ、負けた方が弟子になることにしましょう」と申し上げた。

 それならばといって、奥から長櫃(ながびつ)一合に、大柑子十五個を入れて、重りを載せて出された。道満がすぐに占い申して、「これは、大柑子十五個があるはずです」と申し上げた。天皇以下の公卿臣下で、このことをご存知の人々は、それにしても、なんということだとお思いになったところ、晴明が立ち寄って、祈祷し入れ替えて、「これは、ねずみ十五匹ありと占い申しました」と申し上げた。晴明が占いを仕損じたと、人々は顔色を失われた。 衛府の官人が、立ち寄ってふたを開くと、案の定、ねずみ十五匹がかけ出て、四方八方に逃げ失せて、大柑子は一つもない。御簾の中も階段の下も、ざわめき渡り、晴明の知恵に感心なさった。道満は大いに恥じて、弟子となり、晴明の西の洞院の家に住んだ。