2月3日に立春(春の暦の始まり)となり、2月12日に旧暦元旦(1月1日)があります。旧暦の元旦前に家の竈神は一旦天界へ戻ったり、その後には天神や北斗などの神々が次々に天から降りてきます。それも含めて行事を見ていきましょう。
行事
2月2日(火)節分
2月3日(水)立春(24節気)
2月5日(金)下弦の月・竈神上天 *下記説明あり
2月6日(土)天神下降
2月10日(水)北斗・南斗下降
2月11日(木)建国記念日・竈神下降 *下記説明あり
2月12日(金)旧暦元旦(歳神降臨)*下記説明あり
新月⚫️
2月18日(木)雨水(24節気)旧人日(七草)
2月23日(火)天皇陛下誕生日
2月26日(金)上元祀(天官聖誕)*下記説明あり
2月27日(土)満月🌕
*【竈神・天神・南斗北斗・歳神】竈神は、いつも家にいる火の神様。家の人々の善悪などを日々記録していて、年末になると天界へ戻り、高位の神々に家の人々の善悪(一年分)を報告をします。竈神の報告を皮切りに、天神や南斗北斗の神々が次々に天界より降りてきて、その後、旧暦元旦に歳神が降臨し、昨年善の行いが多かったものには福を授け、過が多いものには災いを授けると言われております。
*【天官】この神は「三官(天官・地官・水官)」の中の一神です。陰陽道の祭祀ではよく出てくる神様で、下界に降りてきて人々を治める神とされています。高位の神仙や、すべての星の神々を統括して、人々の「日常の功罪善悪」を監督する役割をしている。
【平安時代の行事】
ここで陰陽師クイズ❗️先月も内裏の図を掲載して、場所を探してもらいましたが、今月もやってみましょう。平安時代の皇族や公家、貴族となったつもりで、しっかりと正装して、京都御所の儀式に参列してみて下さい。
そこで平安時代の京都を少し説明しておきます。まず、一番上の「平安京条坊図」が昔の京都全体図になります。その中に「大内裏」があって、更に大内裏の中に「内裏」があると考えてみてください。
小説などで有名な羅城門は、平安京条坊図の6番、神泉苑は27番にありますね。当時の神泉苑はとても大きくて、大きさは現在の神泉苑とは比較になりません。行った事がある方はお分かりかもしれませんが、現代の神泉苑は一部が残っている感じです。
【平安京条坊図】
【大内裏図】
大内裏は、どのぐらいの大きさ(広さ)なのかということですが、南北に約1.4キロ、東西に約1.2キロあったと言われております。朱雀門が正門で、南側中央にあり、その他、皇嘉門、美福門など、14門あったとされます。
【内裏図】
新暦 2月11日(旧暦 12月31日)
大晦日
● 追儺[ついな]
新年を迎える際して、疫鬼を駆除する行事。大晦日の夜に儺を祓う儀式。今日の節分の儀式。一名「鬼やらい」「儺やらい」とも言います。
御所では、天皇陛下が紫宸殿(内裏図)に出御して、*方相氏[ほうそうし]が手に鉾と盾を持ち、侲子[しんし]を従えて参入し、陰陽師が斎郎[さいろお]を従えて参入し、祭文を読み上げ、方相氏が儺声を発して鉾で楯を打つ。上卿がこれに呼応して桃の弓と葦の矢によって疫鬼を駆逐し、桃杖で打ち据える。
*方相氏とは、黄帝の時代の大司寇(刑罰を司る長官)の事で、その為、鬼を駆逐し、この神の降臨は吉祥を表すとされています。
● 御霊祭[みたままつり]
先祖の霊がこの夜に戻ってくるということで、七月のお盆と同じ信仰に基づいて行われる儀式。
新暦 2月12日(旧暦 1月1日)
正月元旦
[四方拝図]
● 四方拝 (新年の年災を祓う儀式)
早朝の寅の刻(午前3時)に天皇陛下が清涼殿(内裏図)の東庭で、その年の属星(北斗七星の各星に十二支をあてたもの)の名を、北向きで天を拝し、西向き地を拝し、さらに四方を拝し、最後に山稜を拝する儀式。一名、正朔奉天地四方属星及二陵式という。この儀式で唱える呪文に「再拝咒」というものがあるので記載してみます。
・再拝咒(江家次第)
賊寇之中 過度我身 毒魔之中 過度我身
毒氣之中 過度我身 危厄之中 過度我身
五鬼六害之中 過度我身
五兵口舌之中 過度我身
厭魅咒咀之中 過度我身
萬病除癒所欲悩心 急々如律令
・庶人儀(江家次第)
北向拝属星 向乾拝天 向坤拝地
次 四方 自子終酉
次 大将軍
次 天一
次 太白 以上再拝
次 氏神 両段再拝
次 竃神可加 先聖先師再拝
次 墳墓 両段再拝
ここに記載した庶人儀は一般の方の作法となりますので、興味のある方は、2月12日(旧暦元旦)に神様へ新年のご挨拶と災いを取り除いてもらえるようにお願いしてみましょう。方位については下の図を参考にしてください。
1、北を向いて正座します。
2、合掌して、2021年の北斗の神名を唱えます。
「巨門之星 陰精尊神(自分の名前をお伝えしたあと、今年の祈願をします)」
3、北西に向き直して正座して、天の神々に対して、床に頭をつけるように拝礼します(三回)
4、南西に向き直して正座して、地の神々に対して、床に頭をつけるように拝礼します(三回)
5、北に向き直して正座して、北の神々に対して、床に頭をつけるように拝礼します(三回)
6、東に向き直して正座して、東の神々に対して、床に頭をつけるように拝礼します(三回)
7、南に向き直して正座して、南の神々に対して、床に頭をつけるように拝礼します(三回)
8、西に向き直して正座して、西の神々に対して、床に頭をつけるように拝礼します(三回)
9、そのまま西を向いて、大将軍に対して、床に頭をつけるように拝礼します(三回)
10、北に向き直して正座して、天一神に対して、床に頭をつけるように拝礼します(三回)
11、東に向き直して正座して、太白神に対して、床に頭をつけるように拝礼します(三回)
12、自分の土地の氏神様の方位に向かって、床に頭をつけるように拝礼します(三回)
13、台所に向かって正座して、竈神に対して、床に頭をつけるように拝礼します(三回)
14、自分の家のお墓がある方位に向かって正座して、先祖(父方・母方の両方)に対して、床に頭をつけるように拝礼します(三回)
これで終わりです。拝礼のコツは、頭を下げたら3秒数え、そのあと頭を上げる。3秒ルールでゆっくり拝礼してみましょう。拝礼される方は、今年は良い年になりますように、神々に願ってみて下さい。
● 朝賀[ちょうが]
(天皇が太極殿で群臣から新年の賀を受ける儀式)一名朝拝。天皇陛下・皇后陛下が太極殿(大内裏図)で、公卿の拝礼を受ける儀式。
● 元旦節会[がんたんせちえ]
(朝賀の後に天皇が群臣に賜る宴の儀)
節会は紫宸殿(内裏図)で行われ、先ず外任の奏、続いて諸司の奏として、中務省陰陽寮(大内裏図)から暦奏、宮内省(大内裏図)から氷様奏(ひのためしのそう)、内膳司(大内裏図)から腹赤奏(はらかのそう)となる。天皇陛下は御帳に出御し、群臣は南庭(だんてい)に列立します。内弁(筆頭大臣)の指図で群臣は昇殿し、謝座拝礼・謝酒の礼の後に、台盤の饗座に着き、三献の儀に入ります。一献では吉野国栖[くず]による歌笛、二献では御酒の勅使、三献では立楽として雅楽寮人による楽が奏せられる。群臣は再拝舞踏し、賜禄があって退出します。
* 新年の行事で、陰陽寮が出てきました、大内裏図の中でどこにあるか、探せましたか?
● 卯槌・卯杖[うづち・うづえ]
(邪気を祓う儀式)大学寮(平安京条坊図)・大舎人寮(大内裏図)・六衛府などから天皇陛下、及び東宮に杖が献上され、宮中で御帳台の隅に立てて邪気を祓う儀式。
新暦 2月13日(旧暦 正月二日)
● 朝覲行幸[ちょうきんぎょうこう]
天皇陛下が、太上天皇・皇太后の宮に行幸して、新年の挨拶を行う儀式。天皇陛下の一行は宮院の近くで警蹕[けいひつ]を停止し、天皇陛下が昇殿して、上皇陛下・皇太后陛下の御前に参り、拝賀の礼をとる。公卿は寝殿の御前や、簀子[すのこ]・渡殿[わたりどの]の座に列する。宴が開かれたり、天皇陛下へ衣を賜ることなどもあったとされる。
● 二宮大饗[にぐうだいきょう]
親王・公卿以下が中宮や東宮の宮に参じて拝賀し、饗応を受ける行事。饗饌の他に雅楽寮(大内裏図)による舞楽奏舞、及び賜禄などが行われたりした。
[二宮大饗図]
新暦 2月12日〜14日(旧暦 正月元旦〜三日)
● 歯固[はがため]・屠蘇[とそ]
(延寿を願い、食物を食する儀式)歯固めの歯は、齢を示す。典薬寮(大内裏図)により屠蘇を供する儀式の際に執り行われる。天皇陛下は清涼殿(内裏図)に出御して女蔵人[にょくろうど]らの手から陪膳の内侍[ないしのすけ]に取り次がれ、天皇陛下の御盤に供される。食物は猪肉、鹿肉、大根、瓜、鮎などが並ぶ。
● 餅鏡[もちいかがみ]
(長寿を祈願して飾る儀式)餅鏡は年始にあたり長寿を祈願して飾る。今日でいう鏡餅のこと。歯固めは食することによって長寿を願うが、餅鏡はお供えする。
● 戴餅[いただきもちい]
(子供の将来を祝福する儀式)子供の将来を祝福して祝言(学才・出世・延命)を大声で唱え、子供の頭上に餅を頂かせる。それ故に「頂餅」とも言われる。平安時代の貴族の子が初正月を主として、男子は7歳、女子は5歳まで行われる。
● 参座[さんざ]
内裏や摂関家などに臣下が参上して、年始の挨拶をする儀式。
● 大臣大饗[だいじんだいきょう]
摂政大臣が正月二日(又は三日)に私邸に公卿などを招待して、饗宴を催す行事。四日は左大臣、五日は右大臣と続く。
● 臨時客[りんじきゃく]
これは摂関大臣家の私邸で行われるが、大臣大饗と違って招待することはなく不意にきた客を饗応する行事。
[臨時客図]
*図の向かって右に、沢山の牛車が外に並んでいます。
新暦 2月16日(旧暦 正月五日〜七日)
● 叙位[じょい]
五位以上の位階を勅授する儀式。天皇陛下は清涼殿(内裏図)昼の御座[ひのおまし]に出御し、大臣が叙位を書いて奏聞を経たあと、浄書に入る。七日には叙位を受けるものの姓名を書き入れ、叙位の宣命があり、拝舞の後に下がる。女叙位もあり。
新暦 2月18日(旧暦 正月七日)
● 白馬節会[あおうまのせちえ]
(天皇陛下が白馬二十一頭をご覧になる儀式)
七は陽の数、馬は陽の動物、青は春を表す色で、新春のこの行事で一年の邪気を祓う。先ず天皇陛下が紫宸殿南庭(内裏図)でご覧の後、太皇太后・皇太后・皇后、そして東宮の御前を回り、斎院まで馬を引く。
新暦 2月19日〜2月25日(旧暦 正月八日〜十四日)
● 御斎会[ごさいえ](国家安寧を祈願する儀式)
八日から十四日まで天皇陛下が太極殿(大内裏図)に出御し、本尊盧舎那仏に観音・虚空蔵の両脇侍、そして四天王像を安置して、六宗の学僧を集め「金光明最勝王経」を購読し、国家の安寧を祈願する儀式。
[御斎会図]
新暦 2月21日(旧暦 初子の日)
● 若菜・子の日[わかな・ねのひ]
(煩悩を砕く儀式)正月初めての子の日に内蔵寮(大内裏図)[くらづかさ]や内膳司(大内裏図)から若菜を供する、また野に出て若菜を摘み、小松を引いて楽しむ儀式。若菜の羹[あつもの]は春の精気に満ちており、小松引きで長寿を願い、この日に岳に登ると陰陽の気を得て煩悩を砕くことができるとされている。
新暦 2月25日(旧暦 正月十四日)
● 踏歌節会[とうかのせちえ]
正月に地を踏む、踏歌を舞って豊年・繁栄を祈願する行事。男踏歌は十四日、女踏歌は十六日
新暦 2月26日(旧暦 正月十五日)
● 十五日粥[じゅうごにちがゆ]
(七種粥を食して年中の邪気を祓う儀式)七種は、米・粟[あわ]・黍[きび]・稗子[ひえ]・葟子[みの:みのごめ]・胡麻・小豆を用いる。1月7日の七草ではなく七種。小正月の小豆粥の原型。
新暦 2月27日(旧暦 正月十六日)
● 踏歌節会[とうかのせちえ]
正月に地を踏む、踏歌を舞って豊年・繁栄を祈願する行事。男踏歌は十四日、女踏歌は十六日
[女踏歌図]
新暦 2月28日(旧暦 正月十七日)
● 射礼・射禮[じゃらい]
(射場をこしらえて大的を射る行事)射場は豊楽院(大内裏図)、又は建礼門(内裏図)前の大庭で行われます。射技の品格など尊重して射礼という。良い射手は禄を賜った。現代に当てはまると、京都三十三間堂で行われる「通し矢」みたいなイメージだとわかりやすいかも。
年末年始の宮廷行事をみてきましたが、年末の大晦日よりから、新年の行事は目まぐるしく沢山あります。新暦の2月28日は、旧暦だと1月17日までなのでここまで終わりとなりますが、新暦3月1日(正月18日)は賭弓、正月21日から三日間は内宴があったりし、宮廷行事はまだまだ続きます。しかし、ほんと貴族って儀式で年中忙しい・・・