悲しく複雑な思い (;ω;)

兵法教育は優れど、「軍師」はウソだったといえるこれだけの理由(渡邊大門氏)

https://ironna.jp/article/16735

 

記事を読んでみて、軍師という呼び方は兎も角、戦国時代に陣形までなかった、また陰陽道がただの作法と思われてしまう様な書き方はいかがなものだろうと思って、唖然として思わず記事を書いてしまいました。すみません、門外漢なのに。

 

まず陰陽道六壬式占には戰の時に使用する「軍事占」というものがあります。もしかしたら六壬の軍事占を知る方は少ないかもしれませんが、実際に時に月将を合わせて式盤と課式をたて、そこから、戦の進め方、又は戦い方、またこれから戦う相手の将の気質、伏兵の位置、もし相手が投降してきたらそれは真実かなど、見分ける占法が書かれています。

 

例えば、自軍の将を選ぶ「選将法」を見てみます。これは戦いにいく武将を選ぶ方法です。判別するには「将星(神煞)」を見ます。旺相していれば「強将」、休囚なら「臆病な将」となります。また別の法として「太常(十二天将)」を見ていきます。日貴・日徳と相会して、太歳、或いは日干を生じるものは「忠勇の将」です。羊刃・白虎と相会して、太歳、或いは日干を刺すものは「反側の将(裏切り者)」と書かれています。次に、武将の品性を判別する法が続きます。簡単に書きますが、木神なら慈悲深い、金神なら残酷で殺戮を好む、水神なら聡明で柔に剛を含む、火神なら激しく強情な自信家、土神なら温厚で慎重である。次に、武将と兵卒の関係がどうなっているか、一心同体なのか、それとも心が離れているか、病気にかかっていないかなどみていきます。 

 

まだまだ続きますが、六壬は長いのでこの辺にしておきますが、陰陽師は、こんな感じで六壬式占を使って戰の状況を細かく調べ上げ、戦に関する様々な状態を把握して、将軍(戦いの責任者)へ提言します。

 

また記事には「当該期の兵法は、宿星、雲気、日取、時取、方位などを重要視した軍配術が基本であった。これに弓馬礼法や武家故実が結びつき、軍配兵法が発達した」と書かれています。私が知る限りとなりますが、確かに兵法書にも、五行や二十八宿など陰陽道に関わるものは書かれています。例えば「二十八宿」に書かれているもの一部を載せると、こんな感じです。

 

二十八宿の次位は、角・亢・氏・房・心・尾・箕・斗・牛・女・虚・危・室・壁・婁・胃・昂・畢・觜・参・井・鬼・柳・星・張・翼・軫、是れなり。

 二十八宿度数は、角12度・亢9度30分・氏16度30分・房10度70分・心6度50分・尾19度・箕10度40分・斗25度・牛7度30分・女11度95分・虚8度95分・危15度50分・室17度20分・壁8度50分・奎16度70分・婁11度80分・胃15度50分・昂11度30分・畢17度30分・觜020分・参11度・井33度20分・鬼2度・柳13度30分・星6度30分・張17度30分・翼18度80分・軫17度30分。
 毎日日の支干を計る如く、月の朔に随ひ、牛宿を除きて之を計るなり。朔宿は正月室、二月奎、三月
胃、四月畢、五月参、六月鬼、七月張、八月角、九月氏、十月心、十一月斗、十二月虚、是れなり。
 方位の次第は、角・氏・房・心・尾・箕の七宿は東方を主り、斗・牛・女・虚・危・室・壁の七
宿は北方を主り、奎・婁・胃・昂・畢・觜・参の七宿は西方を主り、井・鬼・柳・星・張・翼・軫の七
宿は南方を主る、是なり。
 二十八宿は各其の主異るなり。湿を主るあり、燥を主るあり、風を主るあり。
 凡そ軫角は陰り来って、晩く晴るるなり。亢宿は砂風を起吹す。氏房心尾は風声あり。虚危も亦風を
生ず。室壁は須く風雨を知るべし。奎宿は天自から明なり。婁胃は雨多く陰りて凍冷なり。昂畢は陰り
来りて、晴に転ずるなり。觜参井は漸く風あり。鬼宿は狂風あり。柳星は雲霧あり。張翼は日色煖烘な
るものなり。又日く、箕翼壁軫の四宿は、必ず風を起すと。」この後に北斗七星・孤虚・選日・五音と続きますが、この辺で。要は戦において天時(天候)は重要事項であった為、占術を扱うものは必ず天時(気候)をマスターします。

 

あと気になってしまったのは「つまり、私たちは戦国大名の配下には「軍師」なる司令塔が存在し、理論的に完成された「陣形」「戦法」で戦ってきたと思っていたが、それは間違いなのである。そもそも戦国時代に「軍師」は存在せず、後世に伝わった「陣形」「戦法」もまったく信用できないのが実情だ。戦国大名は軍配者に出陣の日取りを決めてもらい、戦闘はそれなりの作戦はあっただろうが、おおむねこれまでの戦いの経験則に拠ったというが実際だったに違いない」

 

実際に経験則によった戦いは確かにあったと思われますが、軍師という呼び方があったかないかはいいとして、陣形まで無かった、信用できないと言い切ってしまうのは、少々書き過ぎの感が否めないです。(すみません、重ね重ねですが、否定ではありません)

 

例えば「進軍行」の欄を見てみると、「軍行の事たるや、縦ひ遠国に発向すといへもど、出祖に及ぶときは、則ち将士各甲胃を著け、旗章を帯び、前後左右の列を正し、寅卯の時(午前3時〜7時)を期し、粛々として声なく、早からず遅からず、施旗の法を整え、長兵を横たえず、鼓貝に応じ、以て一勢一勢推行くべきなり。平地たりといヘども、大軍の行は一日五里、小軍の行は一日七里可なり。必ず法を過して違く押行くことなかれ。
 既に出行くに及んでは、予め定むる所の時刻は、聊も其の期を紊すべからず。其の期違ふときは、則
ち兵勢懈りて其の約を守らざるものなり。或は降を乞ひ、勢に加はらんと欲する者あらば、速に共の人質を取り、以て前鋒と為すべきなり。勢を集むる者は、心ず将の陣より遠さくべきのみ。
 凡そ行列の次第は、先勢は各之を列し、右は前、左は後にして以て推行くべきなり。大将の行列、前は鉄砲・同頭。次は弓・同頭。次は長兵・同奉行。次は大繞旗・同奉行二人。即ち旗の前後に駕すべきなり。 次は持節・同頭。次は持弓・同頭。 次は持長兵・同奉行。次は金鼓貝・同奉行。次は小具乗替馬。次は小繞。次は歩者。次は冑持槍大将。次は歩者。次は武者行。次は軍使。次は近習の騎兵。一属一属列ぶべきなり。次は後勢。次は駄馬・同奉行。一列に各序次を乱さず推行くべきなり。若し途中に於て、俄に敵に逢ひて備の地を分つときは、則ち将の馬蹄を以て規となし、先づ鉄砲を列べ、次は弓、次は長兵、次は騎兵なり。旗は初の地を動かずして、後に列ぶべきなり。
 着陣の時刻は、未の時(午後1時)を過ぐべからず。既に営地に到らば、則ち敵に向ふ如く軍を起し、先づ熟食して而る後営地を割くべきなり
 右の軍行は、二行の縄列なり。若し地に依り一行となすときは、則ち左右相送に推行くなり」

この様に、進軍から着陣するのも、細かく軍律があって、軍を率いるものは軍律にそって軍を動かします。

 

陣形に関しても記述あり「勇戦変行」にこう書かれています。

「原れ古より陣形多しといヘども八行に過ぎず。所謂、陰行・陽行・翼行・鋒行・大行・小行・龍行・翼龍行なり。然れども其の実は唯陰陽の二気のみ。陰行・鋒行・小行・龍行、此の四者は陰なり。陽行・翼行・大行・翼龍行、此の四者は陽なり。此の変化あるを知つて敵を制するときは、則ち利なら
さるはなし。陰を以て陽を撃ち、陽を以て陰を撃つ、之を順勝と謂ふなり。陰陰陽陽なるときは、則ち変化を以て之を撃つ。之を変勝と謂なり。
 夫れ、陣形を廃して兵を用ふる者あり。妄りに陣形を存して勝を求むる者あり。倶に与に愚将の謂な
り。惟廃するに非ず、存するに非ず。奇中正あり、正中奇あり。奇も亦、 正となり、正も亦、奇とな
る。奇中の奇あり、正中の正あり。分合も亦、之に因る。表裏相貫くこと環の端なきが如し。荷くも兵
柄を司る者は、奇正分合の極なきを暁らざるべからざるなり…(中略)」

【陰行図・陽行図】
f:id:ozuno:20210125033731j:image

【翼行図・鋒行図】

f:id:ozuno:20210125034036j:image

【大行図・小行図】

f:id:ozuno:20210125034238j:image

【龍行図・翼龍行図】

f:id:ozuno:20210125034425j:image

更に上記八行を組み合わせて陣形を作ります。

【鋒箭形・伏虎・猛虎行図】

f:id:ozuno:20210125034722j:image

 

あとは「勇戦大要」に戦についての考え方が書かれています。「戦に臨み兵を交ふるの法、多端なりといへども、而も敵の心気を奪ふに過ぎざるのみ。勇智を発して心を奪ひ、旗旗を変じて気を奪ふときは、則ち利ならざることなし。然れども先づ吾の心気を修めずんば、則ち彼の心気を奪ふこと能はず。故に内を観、外を料り、以て彼我の機変を察し、土地の遠近と時日の長短とを校へ、当に軍勢の多寡人馬の労健を知るべきなり。
 凡そ地形に生あり死あり。生地とは、或は左に或は右に、林森・蘆竹・山潤・村里の便を得、前後平
地にして、勢衆の進退を妨げず、奇正分合の権を檀にし得るなり。亦高陽の地を選びて、遠候の兵を備
へ、敵人の往来を察せざるべからず。死地とは高山を前にし、大河を後にし、或は深谷泥陥の処なり。然りといへども、備は、流水の如く、当つて滞るべからず。滞るときは則ち彼来りて、其の虚動を撃っ
ことあり (中略) 
進戦の行列は、左右の前に飛具を前後の三段に列し、次に長兵左右共各一列、次に中央の騎兵一列、次に将。此の如く列して進駆するときは、則ち飛具を以て迭に左右に繰出して之を放つ。次に長兵飛具の勢に随つて進む。騎兵は彼(相手)の動揺するを見て、以て駆るべきなり。後に図あり」となっています。最後に書かれている陣形図はこんな感じです。

f:id:ozuno:20210125041310j:image

陣形図を少し解説すると、戦が始まる前は、飛具隊を左右二列を陰行(縦)に配置して、一番後ろに大将の陣、その前に騎兵を配置しておきます。その後、戦が始まれば、陰行の飛具三隊と長兵は左右前に進軍、相手が怯んだら騎兵と将陣は中央に進軍して、縦に並んでいた陰行(縦)より全陣を陽行(横)へ展開して、翼行へ陣容を変えます。この様に陣形に関しては、戦いの状況によってまだまだ多くの記述があります。

 

したがって戦国時代に合戦を行う際には、出陣の作法が主で、作戦もなく、陣形なく、無闇に戦っていたわけではないと私は思っております。(あくまでも私見ですが)その為、今回書いた内容を知っていたので、ネットニュースをみて多くの方は、戦や昔の時代を知らない方であれば、戦国時代って作戦とかなく勢いで戦っていたのか、陰陽師ってそんなものなのかと思われるのが、とても悲しくなってしまい、つい書き過ぎました。それなので歴史学者でもない私がいうべき立場ではないのに、余計なことを書いてしまったかもしれません。世の中は様々な方の意見があって然るべきとは承知しております。陣形や陰陽道について気になる方は、しっかりと調べてみて、確証が掴めたものを信用される様にしてみてください。