反省と価値観と徳

 

 

自分を反省する人は、何事に触れてもすべてが自分を養う薬となる。逆に人を責めてばかりいる人は、心を動かすごとに、それがそのまま自分を傷つける武器となる。前者はもろもろの善の道を開き、後者はもろもろの悪の源となる。その違いは天地雲泥の如くである。

 

 

これは菜根譚の一節です。荘子にも同じような一節がありますが、私たちが思っている美しい醜い、良い悪いという価値観は、人が勝手に決めた価値観です。何故勝手に決めたと言えるかといえば「人間はジメジメとしたところに住めば腰の病となって死んでしまうが、どじょうはそうだろうか。人は家畜を食べ、鹿は草木を食べ、鳥は虫や鼠を好む。どの生き物が本当の美食を知るというのか」というような話が荘子にあります。それぞれの価値観に違いはあれど、どれが真実なのか、この世界に差はありません。この世の中に否定されるべきものはないというのが、荘子の考え方です。

 

 

 

では私達は、どういう風に生きていけば良いのか。菜根譚からもう一節引いてみます。

 

 

 

人の小さな過失は責め立てず、人のプライバシーは暴かず、人の過去の悪事をいつまでも覚えていてはいけない。この3つのことを守れば、自分の道徳心を養い、また危害を遠ざける事ができる。

 

 

この3つを守れない人は、他人を許すという道徳心を養う事ができず、ついには自分以外の人から仕返しを受けることになるというわけです。これが正しい、これは間違っている、こうして欲しい、こうしないでほしい。これは人が言う事を聞いて、我慢して自分が傷ついてもいいということではありません。自分の価値観を、ひとに押し付けてはいけないという事です。

 

 

天地の気候は暖かいと万物を生成させ、寒いと万物を枯れ死にさせてしまう。だから人も性格が冷たい人は、天から受ける幸せも薄い。ただ和やかに熱心な心の持ち主だけが、その幸せも厚く、恩恵も長く続くのである。苦しんだり楽しんだりして修練(経験)し、その修練をやり終えた後に得た幸せは長続きする。疑ったり信じたりして、考えに考え抜いた後に得た気持ちや知識は、はじめて本物となる。

 

春のように穏やかで暖かい心にこそ幸せはやってくるという事でしょう。その幸せを長くする為には、いろいろな気持ちを経験していくことこそ、そこ先に幸せがあるということになります。必ず努力は報われますので、最初に書いた「自分を反省する人は、何事に触れてもすべてが自分を養う薬となる」ということを忘れないようにしてみてください。