9月カレンダー

f:id:ozuno:20220819163506j:image

下記は9月カレンダーPDFのリンクです。ご自由にお使いください。

https://drive.google.com/file/d/1ms1m508NQ9znX9N-9OdLL5K6HpFE6tur/view?usp=drivesdk

9月の行事

9月1日(木)二百十日関東大震災の日

9月4日(日)上弦の月🌓

9月8日(木)白露(二十四節気)、甲子、己酉月

9月9日(金)重陽節句

9月10日(土)満月🌕(中秋の名月)太陰星君聖誕日

9月11日(日)二百二十日

9月18日(日)下弦の月🌗

9月19日(月)敬老の日🇯🇵

9月20日(火)彼岸の入り

9月22日(木)社日、五瘟聖誕日

9月23日(金)秋分の日🇯🇵

9月26日(月)新月🌑、彼岸明け

 

行事の解説

二百十日(にひゃくとおか)立春から二百十日です。暦に記載されるようになったのは江戸時代後期からと言われております。この頃は風雨の被害となる台風が多い時期で、ちょうど稲の花が咲く時期と重なるため、農家の方には厄日とされてきました。同じく二百二十日も奥稲(おくて)の開花の時期にあたります。

白露二十四節気)陽気がやっと退き陰気がようやくあたりに立ち込め、草木の露も白玉を作り始める季節となります。段々と柿や栗などの果実が成熟してくる季節にもなります。秋もいよいよ、その気配を見せ始める頃です。太陽の黄経は165度となり、孝經には「処暑後15日、斗指庚…」と書かれています。庚とは、北を0度とした場合、庚は255度で西と西南西の間あたりです。処暑のあと15日目に北斗が庚を指すので白露となりますと解釈します。

f:id:ozuno:20220821144054j:image

甲子 この甲子は六十干支のはじめの日となります。この日は豹尾神(別名計都。物事を壊すことを司る)が天界に戻って、子の刻(前日23:00〜当日1:00)に天皇上帝のご使者様が降りてきたり、また吉の神々が地上に降りてくる日なので、祈願をすると福が十倍となるなど書かれています。また仏教では、大黒天様をお祀りする日とされています。ざっとですが、お供え物は、大豆・ご飯・酒粕汁・御神酒・菓子(果物と菓子を七種類)・大根と豆腐(四角に切っておく)、「鯛」と筆で書いた半紙(和紙)で牛蒡二本を包み、「鰯」と書いた半紙で山芋をくるんだもの、黒豆を千粒、黒豆を入れる桝も用意し、昼間に祈願文と神授文を唱え、夜に黒豆を千粒呪文を唱えながら…などあって、儀式としては少々大変なので、簡易ですが、福を授かるように大黒天様の真言を唱えてお願い事をしてみられるといいと思います。

【大黒天真言】おん・まかきゃらや・そわか

己酉月 この日より北斗七星の向きが先月までは申方位(西南西)を示していましたが、酉方位(西)へ変わり、一緒に方位の吉凶も変わります。これは十二直としても暦に書かれていますが、占術では「月建」と呼ばれます。例えば私の扱う六壬でも、一つ目の質問は「月将」に合わせて式盤を配置します。次に二つ目の質問が来た場合には「太歳」を、三つ目の質問は「月建」、四つ目の質問は「行年」、五つ目質問は「本命」に合わせたりします。

重陽節句(五節供重陽節句は、旧暦の9月9日に行われていた行事です。五節供とは、正月の人日、3月の上巳(ひな祭り)、5月の端午、7月の七夕、9月の重陽の五つとなります。これは陽の極数の九と九が重なりあうことから、重陽と言います。陰陽道では、1.3.5.7.9の奇数が「陽」、2.4.6.8.10の偶数を「陰」として考えます。その中で最大の陽数が九ですから、その最大数の九が重なる吉日として、重陽節句が始まったとされています。平安時代の天長八年(831)に正式に節会として宮中儀礼となったとされています。もし9月9日が忌日の場合は、翌月に延期となり「残月の宴」として催されたと、類聚国史に記録されています。

満月中秋の名月)昔の時代は、月見の宴(つきみのえん)が催されていました。月を賞で(めで)前裁を整え、宴を張り、詩歌管弦を楽しむ行事となります。

太陰星君(聖誕日)嫦娥陰陽道の月の女神となりますが、別名と「太陰星君」言います。また道教では「月宮黄華素曜元精聖後太陰元君」や「月宮太陰皇君孝道明王」となっています。この神様は旧暦8月15日(中秋節)が誕生日となり、この日は太陰星君をお祀りします。

彼岸(仏事)彼岸とは、二十四節気春分秋分の日を中日として、その前後の三日間と中日を合わせた七日間を「彼岸」と言います。仏教の彼岸は梵語波羅蜜多」の訳語で仏教の理想の境地である涅槃に達する意であるとして、春と秋の彼岸会の供養を行います。この日は昼と夜の長さが等しく、真東から太陽が昇り、真西に沈みます。仏教の極楽浄土は西方10万億土の彼方にあるとされていますので、太陽が真西に沈むこの日こそ、彼岸会を行う最良の日でもあるとされています。

社日(秋の社日)「秋社(しゅうしゃ)」ともいいます。社とは土地の神の事です。産土(うぶすな)の神でもあり、その土地の守り神のことを表しています。秋社は収穫の時期で、収穫した初穂や作物を神に供え、今年の作物の恵みに感謝する日です。

五瘟(ごおん)五瘟とは疫病を司る鬼神のことで、天界の瘟部(おんぶ)に属していて、人々に流行病などをもたらしたりする役目を司ります。その神の聖誕日となりますので、お供物をして疫病の神に祟られないようにします。

秋分二十四節気)暦では、秋季3ヶ月の真ん中で、秋の彼岸の中日でもあります。この日は昼の時間と夜の時間が等分(同じ)になります。この日を境にして夜の時間が段々長くなっていき、昼の時間が段々短くなっていきます。この日は、春の彼岸と同じように先祖の供養をします。太平御覧(たいへいぎょらん)は「龍、春分にして天に昇り、秋分にして淵に入る」、礼記には「是の月や、日夜分し、雷始めて声を収む、蟄蟲(ちっちゅう)戸を坏ぎ(ふさぎ)殺気浸く(ようやく)盛んなり。陽気日に衰え、水始めてかれる」とも書かれています。春分秋分が大きな季節の分かれ目であることがわかります。太陽の黄経は180度。