宗教とカルトの違いとは?

「カルト」とは?

過激で異端的な新興宗教集団をさす。英語圏では正統的キリスト教を「教会」church、その分派を「セクト」sectとよぶのに対し、異端的または異教的小集団を「カルト」とよぶ。ただしヨーロッパでは、カルトの同義語はセクトである。

 カルトに分類される宗教集団は、現代では世界中に多数存在し、アメリカでは2000以上ある。カルトが世界的に社会問題となっているのは、強制的な勧誘によって入信させたり、多額の寄付金を強要したりして人権を侵害し、さまざまな反社会的行動をする教団が少なくないからである。反社会的宗教集団としてのカルトには、いくつか共通の特徴がある。

 その特徴とは、第一に導師やグルとよばれたり、自ら救世主を名のるカリスマ的教祖をもつこと。第二にマインドコントロールといわれる心理操作のさまざまなテクニックを用いて入信させること。それは洗脳の一種で、信徒は自覚のないまま、主義、考え方、世界観を根本的に変えてしまう。第三に外部世界から隔離された場所で共同生活を営み、閉鎖的集団を形成し、そこからしばしば反社会的行動に走る。第四に神秘的、魔術的な儀礼を実践し、教義は異端的、シンクレティズム(宗教的折衷主義)的である。

「宗教」とは?

世界には日常の経験によっては証明不可能な秩序が存在し、人間は神あるいは法則という象徴を媒介としてこれを理解し、その秩序を根拠として人間の生活の目標とそれを取り巻く状況の意味と価値が普遍的、永続的に説明できるという信念の体系をいう。この信念は、生き生きした実在感をもって体験として受け取られ、合理的には解決できない問題から生じる知的、情的な緊張を解消し、人間に生きがい、幸福を与える役割を果たすものとして期待されている。また、信念を同じくする人々が、教会、教団とよばれる共同体を形成する。

日本大百科全書(ニッポニカ)「カルト」「宗教」の解説より抜粋]

分別する、その意味とは?

分別とは簡単に言えば、物事をこれはこれ、あれはあれと分けて考えること意味します。人は動物や昆虫などの生き物と違って、知恵を持ちます。しかし、人が持つその知恵には「上智」という良いものもあれば「邪智」簡単に言えば悪賢いものまであって、知恵と言われるものでさえ色々な分類があります。

 現代はインターネットにより情報過多となっていますが、それにより私達の知識が増えすぎてしまい、その情報を自分で良いのか悪いのか、又はどういうものなのか分別できないままネット、報道などで得た情報を、そのまま鵜呑みにしてしまうなどの危険性が指摘されています。

違いをよく考える、理解する

そのため、今回は「宗教」「カルト」の違いを考えてみてください。上記の違いを読んでいただければ、宗教とカルトの違いは一目瞭然です。一般的にこの辺りは理解されずに、宗教は危ないなど言われることも、しばしばありますが、世の中には危険なものも沢山ありますので、一概に間違いとは言えないと思うのですが、私が思うに宗教が危険なのではなく、カルト活動をしている方々が「これは宗教である。私達は真っ当な事をしている」という事を言われら事にあると思います。確かにカルトも宗教分類の中にあると思いますが、しかし上記の「宗教」と「カルト」の分別が出来ていれば、その対象物が「宗教」なのか「カルト」なのか分かると思いますので、今回は少し踏み込んで書いてみました。

神道の分別

先日、京都の護王神社へ参拝させて頂きました。和気清麻呂公がお祀りされている神社さんです。

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和気清麻呂公は、奈良末から平安初期の公卿。769年神護景雲3)輔治能(ふじの)真人。同年大宰主神習宜阿曽麻呂(だざいのかんづかさすげのあそまろ)道鏡(どうきょう)に媚び宇佐八幡の神教と偽って道鏡皇位に即ければ天下太平ならんと奏上した。称徳(しょうとく)女帝は大いに迷い、清麻呂を召し姉法均(ほうきん)にかわって神教を確かめるよう命じた。その出発にあたり道鏡清麻呂に威嚇(厳罰)と懐柔(大臣)の二策を試み、道鏡儒学の師路豊永(みちのとよなが)は、道鏡即位せば我は今日の伯夷(はくい)たらん(隠棲(いんせい)する)と哀訴した。意を決した清麻呂は宇佐から帰るとただちに「天日嗣(ひつぎ。跡継ぎ)は必ず皇儲(こうちょ。皇統に連なる人)を立てよ。無道の人は宜しく早かに掃い除くべし」との神教を奏上した。激怒した道鏡清麻呂の官爵を削り名も別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改めて大隅(おおすみ。鹿児島県)に配流した。翌年女帝が崩じ光仁(こうにん)天皇が即位するとただちに召還され、ついで本位従五位下に復し、和気公(わけのきみ)、和気宿禰(すくね)を経て774年(宝亀5)和気朝臣(あそん)を賜った。784年(延暦3)長岡造京の功により従四位上、796年平安京造営の功により従三位(じゅさんみ)に昇る。この間平安遷都を建議し、摂津大夫(せっつのだいぶ)としては大和川を西に通じて難波の洪水を除かんとした。799年に没して正三位を贈られたが、降って1851年(嘉永4)正一位護王(ごおう)大明神の神階神号を授けられ、86年(明治19)京都市上京区護王神社に祀られた。

日本大百科全書(ニッポニカ)「和気清麻呂」の解説より抜粋]

分別の大事

ちょっと長くわかりづらいので要点を書くと、僧侶の弓削道鏡という方が「私を天皇にしなさいと神託があった」と言ってきたのですが、和気清麻呂公は宇佐八幡宮の神託受けて「皇族の血筋の人が天皇になるべき」と分別をされた方となります。この分別が無ければ、もしかしたら今の皇族の方々はいらっしゃらない事になっていたかもしれません。このとき道鏡は偉い立場にいましたので和気清麻呂公は、道鏡の怒りを買ってしまい、罪を犯したもの(犯罪者)として都から鹿児島へ配流(島流し)されました。

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和気清麻呂公のようにはいきませんが、私も少しずつ分別をできるよう精進していかないとと思いがあったので、自分の理解のために今回は「宗教」と「カルト」の違いを書いてみました。皆様もくれぐれもカルトには、ハマらないようご注意下さい。