天候・流行病と祈り

天候不順

2020年はコロナで世界中が大騒動、また梅雨の長雨や大雨と洪水、その後は猛暑で、天のご機嫌も斜めとなっております。また今月は大型の台風も接近していて、災害には注意を払わないといけなくなってきております。

推古天皇の御代

しかし、気候変動は昔からありまして、推古天皇紀(聖徳太子の時代)によると推古七年は「地動、舎屋悉破」など地震で大きな被害があり、九年五月「大雨、河水漂蕩、満于宮廷」、三十一年「自春至秋、霖雨大水、五穀不登」と大雨による河川の氾濫や食物の不作、極め付けは三十四年で「正月に季節外れの桃季の花が咲き、三月は寒く霜が降り、六月に雪、三月から七月の間は霖雨が降り、老は草の根を食べ、道のほとりに死ぬ。幼は乳を含みて母子ともに死ぬ。また大臣蘇我馬子が亡くなり、強盗などが大いに起こりて止むべからず」昔は今でいう旧暦なので、現代のカレンダーだと一ヶ月程ずれます。「六月に雪」とは七月に雪が降ったという事です。どう考えても七月に雪降らないですよね。それだけ気候変動が大きかったということでしょう。翌年の三十六年は「三月に日蝕、四月は桃の実の大きさの雹が降り、春より夏まに至るまで日照りがあった。この年は五穀のみならず、百姓大いに飢える」となっています。ちなみにこの年は推古天皇崩御された年でもあります。

舒明天皇の御代

推古天皇のあと、舒明天皇紀にも天変災異が続きます。六年(六三四年)の八月は南方に長星(彗星)が現れ、翌年正月は東に廻り、二月は東から西へ大きな音と共に大星が流れた。それを見た僧旻[みん]は「流星にあらず、これ天の狗なり。彗星を見ればすなわち飢す」と飢饉を予言しています。八年正月に日蝕、五月に霖雨大水、その後は大旱で天下飢饉となる。翌九年二月流星、三月日蝕。翌十年七月大風、九月霖雨。翌十一年正月に雷・大風雨・彗星など、ものすごい多くの災害に見舞われています。

つい最近まで日本でもみえたネオワイズ彗星がニュースになっていましたが、7月後半には夕方に北西の低い空で見られ、7月上旬に比べると徐々に暗くなっているものの、8月上旬ごろまで双眼鏡などを使って北西の低い空で確認をできたとニュースに書かれていました。天文での彗星は天変災異や飢饉が起こる兆しですから、昔の時代なら今頃は京都御所の殿上人は大騒ぎでしょう。

流行病

コロナ前は世の中で「男女平等」など、上下関係、男女関係、情報のシェアなど、平等が騒がれておりました。このコロナは今まで普通に生活をしていた人、裕福な人であろうとそうでなかろうと病気にはかかります。そのコロナがもたらすものは単に人体だけの影響だけではなく、立場、収入格差など、世の中の生活が変化するきっかけにもなっていきます。日本はまだ「思いやり・察する」など独特な日本文化があるので、海外みたいな差別は起こりづらいと思いますが、病気は心にも大きく作用します。この世に完璧な人はいません。常に何かしら不安を抱えて生きています。病気にいつ感染するかわからない、仕事も今後どうなるかわからないなど、様々な心の不安に鬼(魔)は忍び込みます。その為、昔の時代なら神道仏道陰陽道と其々の道の神々に災害解除の祈祷が依頼されたりします。

鬼門と冥府六天宮

では、人間界に忍び込む鬼はどこから来るのか、それは方位などでよく聞く北東の鬼門と考えられています。鬼門には鬼が住んでいるとされますが、実は鬼門は鬼が人間界に降りてくる時に通る出入口になっているので鬼門と呼ばれます。その鬼門を通ってくる鬼は、鄷都山(ほうと)を住処としていて、そこは所謂、あの世(冥府・地府とも呼ばれています)です。その冥府には上下六天宮というものがあり、それぞれの天宮に様々な鬼が居ます。

例えば、第一天宮の鬼は[害人財物、能令虚耗、錢財流散]とあり、人の持つ財物を消耗させて無くしてしまう災いをもたらします。第六天宮の鬼は[害人男女、能令不成、病死絶滅]とあり、病気をもたらす鬼であり、第六天宮から出てきて鬼門を通って人間界にきます。その鬼達が見えないところで人に悪さをしているので、僧侶や陰陽師が対処していきます。またそれらの悪鬼を対処、退治まで出来る神へ助けを求めたりもします。京都のように北東鬼門へ鎮護のため比叡山を祀って鬼がこの世に来ないよう対処したり、北東鬼門の壁の位置は凹ませて鬼が入らないよう対策をしたりしていました。

北帝と東岳大帝

では、それら鬼を対処する場合はどの神に頼むか。それは「北帝」またの名を「北極紫微大帝」もう一神は「東岳大帝陰陽道を知る方ならお分かりの「泰山府君」です。北極紫微大帝に祈るときは「玄宮北極祭」となります。鬼退治は北帝が自ら神将を引き連れて鬼を退治する場合と、泰山府君へ使いを出して、それぞれ二神が鬼退治の神将を引き連れ、時にはお互いに協力して退治したりすると書かれていたりします。鬼退治のわかりやすい例は、節分のお祓いと考えるといいかもしれません。追儺祭は、鬼へ食べ物などを与えて京都より四方へ行きなさいと命令します。しかしその命に従わない場合は、葦の矢や盾、槍などで追い出します(この辺はまた機会のある時に書いてみます)

神への祀り

平安時代など昔の時代なら、泰山府君を祀っている陰陽家安倍晴明公を祖をする安倍家、また賀茂忠行・保憲公を祖とする賀茂家、又は寺社仏閣の僧侶や神宮神社の神官、それら宗教家へ災害を鎮める、又は災害に遭わないよう依頼をしたりします。(知っている方もいるかもしれませんが、泰山府君陰陽家だけではなく、仏教や神道でも祀られていたり、灌頂されたりします。例えば仏教なら、比叡山赤山禅院では泰山府君を招来していますし、ある神社にも泰山府君祭作法などがあったりします)このように鬼を対処できる神様や、泰山府君を祀っている所へ、災禍消除などのお祓い、それらの儀式を依頼していたという事になります。現代でも京都の赤山禅院では、今でも泰山府君や金神などをお祀りされております。コロナが落ち着いたら、また参拝に訪れたいところの一つです。

陰陽道祭祀

では、陰陽道にはどのような祭祀があるのか、古事類苑に記載されている陰陽道祭を書き出してみます。

玄宮北極祭・属星祭・本命祭・太一式祭・太陽祭・太陰祭・熒惑星祭・太白星祭・歳星祭・水曜祭・老人星祭・計都星祭・七十二星祭・西岳真人祭・三萬六千祭・天地災変祭・地震祭・雷公祭・風伯祭・北遊祭・四角四境祭・五龍祭・土公祭・天曺地府祭・泰山府君祭・拝謝祭・大鎮祭・井霊祭・水神祭・火災祭・王相祭・代厄祭・代病身祭・太歳八神祭・大将軍祭・鬼気祭・霊気道断祭・解返呪詛祭・百怪祭・招魂續魄祭・宅鎮祭・厩鎮祭・石鎮祭・白鷺祭・七瀬祓・河臨祓

また別の資料だと

高山祭・海呑祭・禍害祭・辰星祭・塡星祭・絶命祭・赤痢病祭・厭虻蜺祭・河伯祭・五魂祭・謝鷺恠祭

私もまだまだ未熟なので知らない祭祀はもっとあるかもしれません。しかし、陰陽道祭がこのように沢山の祭祀があるという事は、それだけ昔から災害がおおく、生活がままならなかったという事だと思います。祭祀の中に赤痢病祭もあります。最初に書いた推古天皇舒明天皇の昔の時代は赤痢が流行病でした。今の時代はコロナですが、病気に感染すると病院行って隔離されて治療となります。しかし昔は集落から離れて隔離されたり、住む場所を強制的に変えられたりしていました。今みたいな科学的な治療や薬もなかった時代ですから、調べた事はないので実際にはわかりませんが、感染した人への恐れなどから差別的な出来事があったり、また病気により治療薬もなかったため大勢の方々が亡くなっていたという事だと思います。

願い

いつの世も平和で安心して暮らせる様になってほしいものです。コロナに感染された方、またコロナで生活が苦しくなってしまった方、台風や大雨など被害に遭われた方、皆が安心して幸せに暮らせるような世の中になる事を願っております。