5月7日まで、小角の隠れ宿にお越しいただいている新潟にお住まいの方で、 お正月におきました能登半島地震によって家屋損壊をされた方へのご寄付をお願いさせていただきました。多くの方より沢山のお気持ち、お言葉を頂きました。先ずはこの場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。皆様のお気持ちを被災者の方へお届けしたところ、お返事を頂きましたのでご報告をさせて頂きます。
「震災の被害にあい、心が折れそうな日々もありましたが、皆様方の応援をいただき、ようやく仮住まいへの引っ越しと修繕工事へと進めることが出来ました。今後も皆様方の応援に感謝し、一歩ずつ着実に進めるように尽力していきたいと思います。 尚、皆様方に感謝の気持ちとお礼をお伝えいただきたいと存じます。何卒、よろしくお願いいたします。」とご連絡を頂きました。
これは私の考えですが、人は大変な目にあっている時に、自分から助けてくださいと声を発することは、とても難しいことだと考えております。今回の震災もそうですが、震災の被害を受けている人、また震災だけではなく、日々の暮らしの中で親から虐待を受けている人、学校や職場、又は家庭内において心身の喪失感を持っている人など、この世の中には沢山の人が大変な思いをされながら生活を送っております。そのように困っている人が自分から「助けて」と声を発することが難しいのです。だからこそ、自分の周りにいる方が一声かけてあげられる、また察してあげられる、空気を読む日本人だからこそ、その力を大いに活用していただきたいなと思う次第です。
今の日本を見ていますと、自分への非難を察する事に気を取られる方が多くなってしまっておりますが、推古天皇・聖徳太子(厩戸皇子)の時代につくられました十七条憲法の第一条を書き下してみます。
「 一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。以是、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。」
第一条、これは有名ですが「 以和爲貴(和をもって貴しとなす)」最後には「 何事不成(何事も成し遂げられる)」となっております。人は協力し合えば何事も成し遂げられるという意味かと私は思っております。
今の世界は情報が沢山溢れ出しています。様々な情報を知ってしまうと人は自分の考えていることをもっと知りたくなりさらに調べていって、自分なりの考えをまとめていきます。そうなってくると「自分が正しい、あの人は違う」など、自分とは考え方の違う人を排除する気持ちが強くなってしまうのではないでしょうか。そんな中で生きているわけですからトラブルも多くなり、また人に対して疑心暗鬼になる事も増えてきます。その時は十七条憲法の第十条を思い出してみてください。
第十条「十曰、絶忿棄瞋、不怒人違。人皆有心。々各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理、詎能可定。相共賢愚、如鐶无端。是以、彼人雖瞋、還恐我失。我獨雖得、從衆同擧。」
専門的な解釈は学者の方にお任せするとして、簡単な言葉で訳してみます。
「 人が自分と違うということを怒ってはいけません。人には皆心があります。相手がいいと言っていても、自分はそうは思わないという事もあります。しかし、自分が必ずしも(聖)正しいとも限らず、相手が必ずしも(愚)間違っているという事でもなく、それぞれお互いに(凡夫)普通の人であります。そのことを考えて、相手が怒っていても、それをみて自分の過ちがないかを恐れなさい。」と書いてあります。
少し長くなってきましたので、この辺りとしますが、先ずは身近に困っているのではないかなと思われる人がいましたら、声をかけてあげてみてください。些細なことで流れが変わる事があります。何か気づいたらどんな声がけでもいいと思います。また困っている人は少し勇気を出して、周りの人に助けを求めてください。
これからの世の中が少しでも人を慈しむ気持ちをもって生活ができるようになることを願っております。