万物斉同(ばんぶつせいどう)

 

 

 

人間、この囚われたるもの

人間の知や言葉は、誠に多様である。包括的な認識あり、分析的な探求あり、簡潔な表現あり、繁多な饒舌あり、人により場合によって、さまざまに異なった形をとる。

だが、いずれの場合も、人間は知と言葉に依存して、夢の中でも外物を追い求め、覚めては外物と対立して闘争に明け暮れる。時には粗放に、時には細心に、不安に怯え、絶望に苛まれながら、せめぎあうのである。

是非を争うその様は、獲物を狙う漁師を思わせ、自説に固執する様は、盟約に縛られた諸侯を思わせる。

秋冬の冷気に凋落する草木さながらに、肉体の健康は日々損なわれてゆき、呼吸機能の衰弱した老人さながらに、精神の自由も日々失われて、あとは死を待つばかり。

 

 

大知閑閑、小知間間。大言炎炎、小言詹詹。其寐也魂交、其覚也形開、与接為構、日以心闘。 縵者、窖者、密者、小恐惴惴、 大恐縵縵。 其発若機栝、其司是非之謂也。 其留如詛盟、其守勝之謂也。 其殺若秋冬、 以言其日消也、其溺之所為之、 不可使復之也。其厭也如緘、 以言其老洫也、 近死之心、 莫使復陽也。

 

荘子・中国の思想」より抜粋