9、武田家滅亡に関しての考察
この後、武田家は織田徳川に攻められて、最後は天目山(田野)で武田勝頼公は切腹して、武田家は滅亡となります。確かに長篠の合戦では多くの家臣が亡くなりましたが、先に書いたようにまだ軍勢もあり、他にも家臣がいて亡くなった家臣の息子等に家督を継がせるなど、勝頼公も戦後処理をして、今後の対策を立てていました。
ここからは私小角の個人見解なので、それを前提に読んで欲しいのですが、これは武田家の軍勢の特徴にあると思われます。武田家は野戦で戦う軍勢と、城攻めで戦う軍勢は元々分けられておりました。大きく分けると、一の先衆、ニの先衆、浮勢になっております。どんな武将が配置されていたのか書き出してみます。
一の先衆(譜代の家臣が主)
馬場信春・山県昌景・小幡信真・小山田信有・浅利信種・真田信綱・高坂弾正・内藤昌秀(八備)
二の先衆(親族衆が主となります)
武田典厩信豊・武田勝頼・武田信廉・武田信堯・一条信竜・甘利昌忠・穴山信君・土屋昌続(八備)
浮勢(親類衆、譜代、混在している)
跡部勝資・原昌胤・仁科盛信・葛山信貞・望月左衛門尉・武田信実・栗原信盛・小山田虎満・海野幸貞・室賀信俊・禰津常安・小泉総三郎・塩崎・片桐・飯島・上穂・赤津・大島・諏訪頼豊・朝比奈監物・三浦員久・小原継忠・長井政実
少しそれぞれの役割を書き出してみますと、一の先衆は譜代の家老衆、先方衆(甲斐国以外の国衆)で固められています。この部隊は敵軍とぶつかる最前線で、損害の可能性が高いとされます。
野戦では、一の先衆を一陣とすると、二の先衆は二陣となります。浮勢は、遊軍とも呼ばれ、敵の城を攻めるときなど、城攻めを役割とします。要は一の衆・二の衆が野戦となった時に最前列で戦う役目です。残る浮勢は、敵城を攻めたり、陥落させたあと城の確保を役目、また本国が手薄になってしまった場合は帰国させるなど、状況に応じて役割が変わる部隊となっていました。
この長篠の合戦で、先に書いた一の先衆のほとんどが壊滅してしまった為、この長篠の合戦のあと、野戦を戦える部隊がなくなってしまったのが、武田家が終わりになるキッカケではないかと思えなくもないです。何故なら、山県昌景は単独で織田家と戦って勝っています。信玄公の死去後の天正二年に、武田家は東美濃の明智城を攻略しました。その時、織田軍は四万の軍勢で東美濃まで進んできたところ、勝頼公より命じられた山縣隊は六千人で、織田軍と山岳戦を戦って、織田家を迎撃して、ほうほうの体で織田軍は岐阜に帰ったとされています。
この様に、今まで武田家を支えてきた主だった武将達が、信玄公からの引き継いだ戦巧者が、長篠の合戦でほぼ壊滅してしまったわけですから、その後、織田徳川との合戦でまともに戦える部隊がなかった為ではないかと考えてしまいます。
【武田家の館跡に立つ武田神社】
10、人の生き方とは
今の時代もそうですが、人を大事にしない企業や組織、家人を大切にしない家族、うまく進んでいる時は良いのですが、いったん潮目が変わると一気に崩壊してしまいます。武田勝頼公が陣代となってからは、信玄公の譜代家臣から、家臣団の刷新を図ったとされています。勝頼公にも、色々な意図はあったかと思いますが、この世を生き抜いていくためには、やはり優れた人材が必要です。優れた人になるよう人を育て、人と人とが支え合い、お互いに迷惑をかけてかけられて、また支えあってこそ、この世の中を全うできるのではないかと思ってしまいます。
それには感情(六情)ではなくて、五性で生きていかなければならないです。その六情や五性とは何かというと、陰陽道関連の書籍に「五行大義」というものがありますが、その中に「第十八論情性」という項目があって、ここに五性と六情の事が書かれていますので、その箇所を書いていきたいと思います。
五行大義 第十八論情性(意訳)
天の明に則り(天の明とは、太陽・月・星の三光と呼ばれる3つの光)、地の性に因り(土地は万物を生ずるが故に、性は生と考えます)六気を生じ、五行を用いる。五行は「五性」となり、六気は「六情」に通じていきます。五行は人にあっては性となり、六律は人にあっては情となると書かれています。
では、その性とは何であるかというと
1、仁
2、義
3、礼
4、智
5、信
となります。もう一つの情というのは
1、喜
2、怒
3、哀
4、楽
5、好
6、悪
になります。
五性(仁・義・礼・智・信)は内に(身体の中)あって陽を御し五臓を治めて、六情(喜・怒・哀・楽・好・悪)は外に(身体の外)あって陰を御し、六体(頭と胴体、四肢)を治める。それ故に、六情が五性に勝つと乱れ、五性が六情に勝れば治ると書かれています。
要点で書いてしまうと、人とは五性を身につけて生きていくと幸せになれて、六情で生きていくと不幸(ツイていない状態)になると考えます。例えば、六情で生きていくというのは、 喜・怒・哀・楽・好・悪の感情(気持ち)を外へ表現する生き方です。
仁・義・礼・智・信
↑ ↑ ↑ ↑ ↑
喜・怒・哀・楽・好
・喜びがすぎると、仁(優しさ)が無くなる。
・怒りは、恩義を忘れている状態。
・悲しいときは、礼儀を主に行動、対応する。
・楽しみだけでなく、知恵を深めること。
・好き嫌いではなく、信じること。
この五性を基本に生きていけば、いい人生を送れると思いますが、今の世の中は六情を元に、自分の気持ちが動くまま、感情のままに生きていくことを良しとしているかと思います。六情の生き方は一見すると自由に見えますが、それでは幸せになれないと、昔の聖人は言い残しているのではないかと思ってしまいます。
私が思うところは、この六情は絵画や詩歌などを生業とする人が必要なものであると考えます。歌を歌う、歌曲を作る、絵を描くなど、現代ならいろいろな役をされる芸能人もそうなのでしょう。その生業の方はこの六情がないと、よい作品を作れません。しかし、普通の生活をしている我々はこの六情に振り回されてしまうと、悩みがついてまわります。その為、生活が困難になってまいります。その点を抑えて、できれば六情ではなく、五性を意識して生活をしていただけたらなと思う次第です。
今回は4部作の長編となってしまいました。最後までお読みいただきましてありがとうございました。まだまだ考える事は沢山あるので、又機会がありましたら書いていきたいと思います。今後も宜しければ、お付き合いください。では、今回はこの辺で失礼します。