荘子【大宗師 何に生まれかわろうと】

何に生まれかわろうと
ほどなく、今度は子来(しらい)が病気で危篤に陥った。苦しげにあえぐ子来を囲んで、妻子が泣き悲しんでいるところへ、子犁(しり)が見舞いにやって来た。
「静かに!さあ、みんなあっちへ行った!往生際を邪魔してはならぬ」
妻子たちを遠ざけると、子犂は戸にもたれ、病床の子来に語りかけた。
「たいしたものだな、造物者は!いったい今度は、きみを何にしようというんだろう。鼠の肝か、それ
とも虫の足にでもしようというのかな」
すると、瀕死の子来が答えた。
「親の命令とあれば、人間は東西南北どこへなりと行くじゃないか。まして天の理法は、親以上に絶対的なものだ。その天がおれを死なせようとしているのに、死にたくないといいはるのは、こちらのわがままというものだ。人間としての五体を受けて生まれ、生を負うて苦しみ、老いを迎えて安らぎ、死を待って憩いにつく、これが人間の一生であるからには、生をよしとして肯定するのと同じく、死をもよしとして肯定しなければなるまい。
たとえばだよ、鋳物師(いものし)が銅を溶かして剣を作っている時に、銅がじたばたとあがいて 『おれはどうしても鏌鋣(ばくや:伝説的な名剣の名)のような名剣になりたい』とわめいたらどうだろう。鋳物師はきっと『罰当りめ』と腹を立てるに違いない。たまたま人間の形を与えられて生まれたからといって『どうしても人間でなくちゃいやだ』とわめく奴は、まったくこの銅と同じことだ。造物者はきっと『罰当りめ』と腹を立てるにきまっている。天地はいわば大きな炉、造物者はいわば鋳物師なのだ。どんな形態に鋳なおされようと、結構じゃないか」
語り終えると、子来はすやすやと寝入り、そのまま大往生を遂げた。