善き日を選ぶ

昨日報道で、秋篠宮眞子内親王殿下の入籍についてニュースが流れておりましたが、一つ気になるものがあったので、一言書いておこうと思い記事にしております。

択日

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昔は「択日」と言いまして、何かを始める時は善い日を選ぶ事をしていました。この度の眞子内親王殿下の婚礼も大安日であるというような報道がされておりましたが、現代でも日を選ぶ風習があります。

しかし元宮内庁の方もおっしゃられていますが「六輝」と呼ばれる大安や友引というものは、使用しないという暗黙のルールがあります。何故ならこの六輝は、使用の方法が違うためとされています。昔「六輝」は「小六壬」とも呼ばれて、良い時(時間)を選択する為に使用するものでした。永代大雑書萬暦大成にも、この六輝がありますが(名は六輝ではなく「壬時のうらない」となっています)そこに書かれているものを紹介してみます。

「是は唐の李淳風の占いで、大安を日月とし、月の上に日をおこし、日の上に時をおこす。たとえば三月五日辰の時を占うには、大安を日月(正月)とし、次へ順に二月三月と数えれば速喜にあたる。是を朔日(一日)として二日三日と数えれば五日は大安にあたる。大安を子の時(23〜1時)とし丑時寅時と次へ順に数えれば、辰の時は小吉にあたる。すなはち其所にて吉凶をみる」とあります。並びの順序がわからないと思いますので、大安などの並び方と、例題に書かれている順番を書いておきます。

1、大安(属水)正月 五日 子の時

2、留連(属水)二月    丑の時

3、速喜(属火)三月 一日 寅の時

4、赤口(属金)   二日 卯の時

5、小吉(属水)   三日 辰の時

6、空亡(属土)   四日

となります。(大安が良い、赤口はどういう日かという内容などは省略しております)

この様に占いの仕方が書かれているのですが、三月五日の辰の時(午前七時〜九時)がいい時間なのかを占うとなっています。要するに今の現代では、今日は大安だからいい日と解釈してますが、元々は日より更に時まで先に進めて、時間の吉凶をみるのが正確な使い方となります。

眞子内親王殿下の御婚礼が大安だから選ばれたのかは定かではないので、いま書かせていただいた六輝を基準に選ばれていないかもしれません。くれぐれも理解に誤解ないようお願いします。

昔の択日について

そこで眞子内親王殿下が入籍される日を昔の択日吉凶にて見てみた所、気になるものがあったので少し書いておきます。

陰陽古書の中に「陰陽略書」というものがあります。そこに「本云、元暦元年季秋廿日、申出右府御本書写訖…(中略)泰忠」となっています。この泰忠という方は、安倍泰忠という名で、安倍晴明→吉平→時親→有行→泰長→泰親→泰茂→泰忠となり、安倍晴明公の血筋の陰陽師の方となります。

この陰陽略書の中に「嫁娶日 用陰陽不将日。巳上、陰陽不将日、嫁娶・納婦・結婚・納徴、吉」とあり、嫁娶には陰陽不将日が吉日なのでこの日を用いなさいと書かれています。また忌日というものがあり、忌日にある日は用いてはいけないというものがあります。それは「陽将日・陰将日・帰忌・往亡・厭…(省略)」などがあります。今回気になってしまったのは、眞子内親王殿下の婚礼が、この忌日の中で「陽将日・陰将日」にあたってしまっていた為、何事もなければよいが…と考えてしまった次第です。この二つの忌日の書かれている箇所をみると「陽将日、煞夫、煞婦人」「陰将日、害婦害姑」とあり、意味として夫婦の反目、また姑と妻の反目となるとなっています。

昔であれば皇居内にて陰陽祭をして厄を取り除き、お二人に幸せな時が訪れるよう、ご祈祷をする事になるのでしょうが、江戸時代まで皇居で行われていた陰陽祭は明治になって廃止となってしまいましたので(昔、皇居内で陰陽祭を行う場合には、陰陽師をはじめ、陰陽祭を手伝う陰陽具官いう肩書の方などにも、陰陽祭のため皇居に参内しなさいという書面で通知がきまして、陰陽祭をしておりました)現在は陰陽祭以外の御祈祷が行われている事と推察しますが、眞子内親王殿下と小室圭氏の今後の幸せな生活を願いたいところです。