選択肢について

昨年より新型コロナウイルス対策によって自粛を求められ、そのため行動の自由が失われたり、何かとストレスを抱えやすくなっている方のために、今日は選択肢について書いてみようと思います。

私は占術を扱うので、先ずは占術の話となりますが、占術は「命・卜・相」という三つが種別があります。「命」ならば、生年月日より占うもの、「卜」とは御神籤のようにその場にあるもので占うもの、「相」とは地形や人相手相など、形で占うものになります。その為、占術を学ぼうと思った場合は「命・卜・相」の3種より種別を選ぶ事となります。其々に一長一短の特徴があるので、どれを選べば正解ということはありません。逆にどれを選んでも正解となります。

因みに「卜」には、陰陽道の占術の六壬も入ってきますが、もう一つ「卜」で有名なのは易経という占術があります。この易には、断易、周易などの種類はありますが、元を正せば陰と陽、その陰陽より先は「天・沢・火・雷・風・水・山・地」と分かれていきます。あとはこれらを組合せていきますが、例えば、上に天、下に沢となれば「天沢履」、上に天、下に火であれば「天火同人」など、組合せは最大で64パターンとなります。要するに様々なパターンがあるということになります。

ある方がこんな事を仰っていました。「サイコロには1〜6まで数字があるけれど、現代の人はサイコロを振って5が出ると、5しかないと思ってしまう。もう一度振れば、3になるかもしれないのに、5の事ばかり考えて他の可能性が見えなくなっている。その考えでは鬱っぽくなってしまう」と話しておられました。私もそうだと思います。このサイコロの話もそうですし、先程の易経もそうですが、私たちの前には多くの選択肢があります。一つのことを考える事は悪いことではありませんが、常に私たちの周りには多くの選択肢が用意されています。特に今つまずいてしまっている、うまくいかないと思っている人は、自分にはとても多くの選択肢が用意されていると思ってみて下さい。勿論、選ぶものによって、またこれから選ぶものによっては、今よりも大変な状況となる選択肢もあると思います。しかし、その大変さの中にもまた多くの選択肢があります。その選択肢を探す者には、必ず見えないものが力を貸してくださいます。

数年前に実際にあった話ですが、インドネシアの女性の方が、日本に住んでいる息子と連絡が取れなくなり、息子を探しに日本まで来た方がいました。その方が頼りしていたのは、昔に息子から聞いた日本の住所のみです。そのような中で、私もあるご縁でその方と一緒に息子さんを探すことになりました。先ずは分かっている住所に行ってみた所、引っ越しをされた後で、その住所に住んでは居ませんでした。ご近所の方に聞いてみましたが、何となくあの辺に引っ越したんじゃないかな程度の話しかなく、引っ越し先は分かりませんでした。その後、その何となくと聞いた地域で探したり、警察に行ったり、孫がいるという事だったので小学校で聞き込みをしたりしましたが、見つかりませんでした。日も暮れてきたこともあり、その方が「明日、東京の領事館に行って聞いてみる」という事になりました。そこで私がその方にお会いする前に占術で出していたのが、仏閣で祈願する、よいご縁がある出ていたので、東京にお帰りになる前に高崎の慈眼院さん(白衣観音のお寺さんの方がわかりやすいですかね)へご祈願に向かいました。慈眼院さんでその方と一緒に賽銭箱へお金を入れ、手を合わせて祈願していると、寺の中から僧侶の方が出ていらっしゃって「本堂の中でお参りして下さい」と案内されました。別に何かを頼んだわけでもなく、何で声をかけられたのかも分からず、御住職のご好意を頂いたので有り難く、本堂の中にてお参りをさせて頂きました。その後、高崎の駅までお送りしました。駅でその方と別れた後、その方より連絡があり、「息子からいま電話があって息子と会えました。ありがとうございました」と。ここ数年、連絡しても音信不通だった息子さんから、インドネシアから日本にきた初日に息子さんから電話があってお会いできたのは、神様の計らい、神様のご縁かも知れません。

この方もそうですが、私達は生活をしていると大変な事は多々ありますが、様々なパターンの選択肢を選ぶことができるし、また見えないものへ手を合わせて祈る事で、更に力もお借りする事もできると考えてみてください。今は苦しくとも必ず先があります。

少し長くなってきたので、今日はここまでとさせて頂きますが、また何か感じることがあるときは記事をアップしていきます。

では、また。