コロナウイルスによって私達が今まで築き上げてきた生活は一変しました。これは映画や漫画の世界ではなく、全世界で同時に起こった現実の出来事です。未知の、今まで経験したことのない事は不安が付きまといます。そのような自粛生活の中で家にあった糸井重里さんの本がふと目に留まりました。タイトルは「ふたつめのボールのようなことば」という本です。その中にこんな言葉がありました。いまの世の中のように、変化の激しい時代に必要な言葉かもと思い、糸井さんの本より抜粋してみます。言葉って大切だなと思います。これをみて少しでも前に進めるきっかけならば幸いです。
【P248より抜粋】
ものごとには、終わりがある
わかっている、知ってる、それは常識だ
おいしいものを食べていても
いつかは食べ終わる。
どんなに仲のいい人がいても、
なんらかのかたちで別れはくる。
いかに楽しいことがあっても
ずっと、いつまでも続くことはない
夢中で読んでいる大長編小説でも
やがて終わりがきてしまう。
わたしや、あなたの人生も、
終わりがくると言わざるを得ない。
知ってる、わかってる、常識だ、法則だ。
でも、どうしても、さみしいものだ。
知っているけれど、忘れていたままでいたい。
だから、終わりなんかないかのように、
ふるまい続ける人もいる、そっちのほうが多い。
でも、終わりがくると知っているのなら
終わりがくることを認めたほうがよいのではないか
いつまでも、食卓にいて
くちゃくちゃと口を動かしているのは、やめようか。
灯の消された遊園地に、いつまでも居残って、
無残な朝を迎えるよりも、そこを去ろうか。
恋人たちよ、握りあった手を離して、
それぞれの場所に出かけたまえ
そしてまた、帰ってきて手をつなげばよいだろう。
終わりがないようにふるまうことが
人びとをどれだけ苦しめていることだろうか。
終わりがあることは、ひとつの救いでもあるのだ。