荘子 【大宗師 一 知の限界】

はじめに

荘子の中には、逍遥遊、斉物論、養生主、人間世など色々ありますが、その中の大宗師から一節を載せてみます。荘子は読む人がそれぞれに経験した事などを基本にして、様々な考え方となります。何が正解で、何か不正解なのかではないところで、読み進めていってもらえればいいのかなと思います。

 

大宗師 一  知の限界

天(自然)および人(人為)を支配する法則を究めることこそ、知の窮極目標である。天を支配する法則を究めれば、いっさいの変化に順応して生きることができる。人を支配する法則を究めれば、知の限界内で無理なく知をはたらかせることが可能となる。このようにして与えられた天寿を全うしてこそ、偉大なる知者といえよう。

 

しかしながら、かりにこの段階まで到達し得たとしても知にはなお問題が残る。なぜならば、知的認識は対象を得てはじめて確定するものだが、対象となる事象自体は絶えざる変化の中にあって、天といい人といっても、両者の境界は明確ではないからである。わたしは、かりにここで天と人とを対立させて論じてきたが、この対立さえも実は確定的なものとはいえないのだ。